安全への挑戦

JR東労組の安全への取り組みの歴史
1992年、突きつけられた高速バスの安全

 1992年2月22日、東北自動車道下り線でスキー団体客を乗せたJRバス(JR東北バス)が、大型トラックなど合計67台の衝突事故に巻き込まれました。運転していた運転士が死亡、ガイドと団体客11人が重軽傷を負う痛ましい事故が発生しました。
 この事故は、猛吹雪の自然条件、道路規制や道路構造、低い運転席という車両構造など原因は多くありますが、特に高速バスの安全問題を鋭く突きつけました。

中央委員会で事故について決意を固める

 相次ぐ殉職を残念に思う。安全がまだまだ保証されていない企業体質が問われると同時に、組合が安全を隅々までチェックしえてないことを深くお詫びしたい。われわれは「安全」を最重要課題として数年間の努力を重ねてきた。事故原因の解明と同時に、事故が起こらないシステム上の保証を講じるために、さらに労使が努力していかなければならない。
省エネ・公害が少ない鉄道を発展させるためには安全対策は重要である。安全にはコストがかかる。お客様に一時的な不便をご理解いただき、大胆な施策を実施しなければならない。(中央執行委員長あいさつ)

成田線踏切で、またもや運転士死亡事故発生!

 1992年9月14日、成田線久住~滑川間の大菅踏切で列車とダンプカーの衝突事故が発生しました。
この事故は、遮断機を無視して踏切に進入したダンプカーに列車が衝突、列車最前部が大破、運転士は押しつぶされた運転台に閉じこめられ、救出作業に手間取り、救出直後に死亡しました。
ただちにJR東労組は踏切の抜本的な安全対策と乗務員の命を守るための対策として次の要求を掲げ、会社側と協議し実施してきました。

  1. 運転席前面の強化
  2. 運転室空間(生存空間)の確保
  3. レスキューしやすい運転室の構造、救出体制
  4. 踏切の安全対策

 この協議の結果、次世代車両試作車901系については量産にあたってより強化された構造にすることを労使で確認すると共に、901系を209系として量産するにあたって、さらに運転室空間を広く取り、かつ運転士の脱出口を設けることとなりました。
東中野駅構内事故から丸4年、事故撲滅に向けた決意を新たに労使宣言を発しました。

事故撲滅をめざして

 1988年12月5日に中央線東中野駅で多数の死傷者を出す列車衝突事故が発生して丸4年が経過した。この事故は私たちにとってまさに痛恨の極みであるとともに、安全確保の重要性とその難しさを痛切に再認識させるものとなった。
私たちは二度とこうした事故を起こさないために、それ以来安全問題について経営協議会及び同安全分科会の場で真摯な議論を積み重ね、さまざまな課題に取り組むとともに、チャレンジ・セフティ運動の推進など全社員の衆知を結集した事故防止への取り組みを行ってきた。
また、1990年10月にはJR東日本とJR東労組の共催のもとに国際鉄道安全会議を開催し、内外の英知を結集する中で、安全な鉄道づくりに向けて大きな成果を上げることができた。
事故絶滅のためには何よりも「事故から学ぶ」姿勢が大切である。私たちはこうした基本認識のもとに、事故に際しては責任追及ではなく原因究明を第一とする大きな流れを作りだし、効果的な対策が講ぜられるよう努めてきた。こうしたたゆみない努力はJR東日本に安全第一の社風を育み、事故を着実に減少させてきた。
JR東日本が21世紀に向け今後一層飛躍するためには、より安全性が高く、お客様に安心してご利用いただける鉄道を創りあげていくことが不可欠である。
安全追求の道に終わりはない。JR東日本とJR東労組は、12月5日の今日、東中野事故の教訓を改めて思い起こし、事故絶滅に向けての決意を新たにするとともに、その実現に向けて全力で取り組むものである。

1992年12月5日

東日本旅客鉄道株式会社
東日本旅客鉄道労働組合

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