反弾圧のたたかい

第51回公判報告

やはり「事件(えん罪)」は、取調室でつくられていた!

 2006年7月31日、「えん罪・JR浦和電車区事件」第51回公判が行われました。
 今回の公判は、小黒さんに対する2回目の弁護側主質問が行われました。
 小黒さんは、2002年11月1日に逮捕されて以降、警察官・検察官による取調べの実態を証言し、「取調べは異常であり、自分の意思に反して作成された供述調書であり、信用性のうすいものである」と訴えました。
 その中では、容疑事実すら分からない中での家宅捜索・逮捕という事態に直面したことや、家族と引き離され、睡眠不足などで精神的・身体的な負担が大きい中、検察官は小黒さんを追いつめ、不当な供述調書の作成を行ったという異常な事実が明らかにされました。
 任意性のない供述調書は、証拠能力はないことからも無実という確証をさらに固めるものとなりました。

不調を訴えても聞き流すだけの検察官!

 小黒さんは、2002年11月1日に家宅捜索を受ける前日から、子供の入園手続きのために一睡もせずに幼稚園に並んでいました。午前7時に奥さんと交代し、帰宅後、家宅捜索・逮捕という事態になりました。
小黒さんは、身に覚えもない被疑事実によって行われた家宅捜索とその後の逮捕による混乱、逮捕時には一睡もしていない状況でした。 また、留置場での慢性的な睡眠不足、真実を話しても受け入れない警察官・検察官の高圧的な態度、家族と会えない状況での孤独感など、怒り・不安・恐怖・精神的混乱は計り知れないものだったのです。さらに、「黙秘などさせない」「裁判で争えば、捜査にかかわった100名余りの警察官すべてを法廷で証言させることになり、ひと月に一回くらいの裁判では、10年~20年出られない」などの言動によって、精神的に追いつめられたのです。
小黒さんが「警察・検察の主張は事実と違う」と訴えても、聞く耳など持たず、警察・検察ストーリーを押しつけるのみで、真実の追求など全くありませんでした。
そのような中、ストレスが原因とみられる「異汗性湿疹」や「耳鳴り」が発症しました。しかし、警察・検察官は何も対応しない状況に変わりはありませんでした。このような状況が続いた中で小黒さんの体調は極限に達し、11月17日に「けいれん発作」によって、取調中に倒れ、救急車で警察病院に運ばれてしまったのです。

入院中はベッドに手錠でつながれたまま!

 小黒さんは緊急入院し、手当を受けることになりました。病室は、容疑者用(?)の特別な部屋(二重構造で鍵がかかる)で、逃亡の恐れなどないにもかかわらず、ベッドでは左手に点滴、右手は手錠を掛けられ、ベッドにつながれていたのです。このような異常な状態を見かねた看護師の抗議で手錠ははずされたのですが、検査を受けるときは両手に手錠を掛け、腰縄をされていたことも明らかになりました。このように病気になったときでさえ、人権を無視した勾留状況だったのです。
過酷な取調べと、家族と隔離された精神状態は想像を絶するものであり、また、睡眠不足が重なって倒れたにもかかわらず、人間としての扱いを受けないという異常な対応だったのです。

退院後もすぐに取調べ = 追い打ちをかける検察官!

 入院中「人権無視」の扱いを受けた小黒さんは、退院後さらに異常な対応を受けました。それは、退院直後から検察官による取調べが再開されたのです。
検察官は「もう何人かの仲間はしゃべっている」「他の6名は過激派と関係があるから、一緒にやっていると大変なことになる」「自分にも同じような子供がいる。かわいそうだ」など心身共に衰弱している小黒さんに対して、追い打ちをかけ、「自白調書」の作成を強要したのです。

焦る検察官による「自白」の強要!

 検察官は、退院した11月18日は、取調べができる期限(11月22日)が近づいていたことから、供述調書を作成するために焦っていました。
それは、退院したばかりの小黒さんに対して発せられた検察官の「もう限界なんだよ!」という言葉からも窺えます。
小黒さんは、退院したとき、心身共に疲弊した状況下にあり、思考停止状況だったといえます。そして『真実を話しても「保釈」にはならない』『家族に会うためには、検察官のいうとおりにして「保釈」してもらおう』と判断し、事実と違うことについても検察官の意のままの供述調書を作成せざるを得なかったのです。
検察官は、精神的・身体的に衰弱し、さらに混乱している小黒さんに追い打ちをかけ、「保釈」をほのめかしつつ、検察側ストーリーを強要したのです。

当たり前の組合活動を行うJR東労組への弾圧です!

 公判で明らかになったことは、「検察官とは真実を追求するための取調べを行うのではなく、検察側ストーリーを押しつけるために無理な取調べを行った」ということでした。

 このように人権さえも無視した異常な取調べを行わなければ、「事件」をつくることはできなかったのです。
まさに、「事件(えん罪)」は取調室という『密室』でつくられていたのです。

 このような取調べの実態を明らかにしていくことと、当時の真実をしっかりと訴えていき、7名の完全無罪に向けて頑張ります。

 今後も、「平和と人権、民主主義を守る」ためにJR東労組は一生懸命頑張ります。

「えん罪・JR浦和電車区事件」を支援する会・賛同者10万人を達成させよう!

公正・公平な裁判が行われるように
今後もみなさんのご支援・ご協力をよろしくお願いいたします

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