反弾圧のたたかい

第15回公判報告・弁護側「反証」始まる
(2004.1.29)

 2004年1月29日、「JR浦和電車区事件」の第15回公判が行われました。
今回から弁護側の反証となりますが、14回の公判を終え、弁護団はその公判の内容から7名の完全無罪を確信し、次のような点を主張しました。

1.この事件が発生するに至った背景事情

 JRの中には複数の組合があり、方針が異なっています。
その中で原告であるY君はJR東労組の組織を破壊しようする他労組にあやつられ、職場に大きな混乱を持ち込んだのです。
1987年の国鉄改革を経て、労働組合も再編し、新しく「JR総連」を結成しました。この新たな組合づくりに国労以外の労組は全て結集しました。
しかし、1991年、JR総連の方針に反対する、JR西日本・東海・九州・四国内の反対派(今のJR連合)が意思統一のもと分裂していったのです。JR東労組内では、1995年に同じ意図のもと「ジェイアールグリーンユニオン」が分裂していったのです。
その後、「ジェイアールグリーンユニオン」は自らの組織の拡大に向けて、レクリェーション(キャンプ・芋煮会など)を活用し、JR東労組の青年部員を対象に「ジェイアールグリーンユニオン」への加入対策を具体的に行ってきました。
このような中で、JR東労組として組織を守るために、「ジェイアールグリーンユニオン」の組織拡大のためのキャンプなどの実態をつかむ取り組みを行ったのでした。

2.この事件は仕立て上げられた事件であり、組合の脱退・退職の強要は存在しない。

 1997年、その「ジェイアールグリーンユニオン」は中央委員会討議資料でJR東労組を破壊するために「いますぐ兵をおこしては、完全な成功を収めるのはむずかしいこと、大義名分がたたず民心を収拾するのがむずかしい」として「敵は5年を目処に必ず亡びるだろう。そのときまで我々は組合員にひたすら徳を積もう」という組織戦略を謳い、JR東労組に密通分子をつくりだすことを決定したのです。このY君問題こそ、その戦略に基づいたものであるのです。
だからY君の密通分子ぶりがあらわになると、JR東労組内になんとしてでも残すために、当時の「ジェイアールグリーンユニオン」東京地本書記長A氏がシナリオ(通称カバーストーリー)を作成し、そのシナリオどおりに、Y君にウソをつかせたのです。
「Y君問題の経過」(下記を参照して下さい)を見ればわかるとおり、「ジェイアールグリーンユニオン」がY君に強引な指示をしなければ、Y君の人間性はあるにしても、Y君は分会の仲間にウソをつき分会の全組合員を裏切るということもありませんでしたし、Y君問題が組織問題に発展することもなかったのです。
まさに、この間の公判で明らかになったとおり、Y君が被害届を提出する以前から捜査が始まっていたこと、さらに被害届の提出以前に公安警察が自宅を訪問していた事実があったことを見てもわかるとおり、仕立て上げれた事件だと言えるのです。

Y君問題の事実経過

Y君 ハガキ行動拒否
2000年12月21日、当時青年部が行っていた国労組合員に加入を呼びかける「国労組合員へのハガキ行動」を拒否し続けるとY君と討論したところ、「ジェイアールグリーンユニオン」の人とキャンプに行っていたことを自ら明らかにしたのです。

Y君 脱退宣言
2000年12月25日、その後もY君は「ハガキ行動を強制するなら東労組を脱退する」と発言。分会の仲間はなんとかしようとして、Y君を含め青年部の一体感をつくろうとケーキを買い、ミニクリスマスパーティーを行いました。

Y君 一転して謝罪
2000年12月29日、分会はY君に真意を聞くための論議の中で、「国鉄改革の否定・ボーナスがもらえるのは当たり前」など、組合の取り組みに反発する言動を行い、組合からの脱退を明言しました。しかし、その10分後

「軽はずみな行動・言動であった」
「脱退を撤回したい」
「今後、組合活動を積極的に担う」と謝罪しました。

 聞いていた誰もが、「ジェイアールグリーンユニオン」との関係や発言が急転したことについて不信感がわいたのでした。
このような中で、分会は一連の事態を「ジェイアールグリーンユニオン」からの組織破壊攻撃と位置づけ、執行委員会を闘争委員会に切り替え、12月30日拡大闘争委員会で事実を確認し、正月返上で職場集会を開催することを決定しました。

Y君のウソ

Y君 浦和電車区分会の仲間の前で謝罪

  2001年1月4日から6日にかけての職場集会では、Y君は「脱退は本意ではない軽はずみな発言をした」 「ジェイアールグリーンユニオン・国労に行く気はない。今後はジェイアールグリーンユニオンとは手を切る」と言いました。
この反省・謝罪を信じた浦和電車区分会は、全組合員でY君を包んで前進することとしました。

 しかし、その後、意図的なウソが発覚するのです。

2001年1月19日、Y君は上原分会長(当時)に電話をかけてきました。

Y君「これまでの反省・謝罪、キャンプの事実は全てウソでした」と発言そしてY君は

「今まで言ってきたことはウソでした」
「JR連合A氏のシナリオに従い、ウソをつくよう東京車掌区のOが脅してきたからで自分は悪いとは思っていない」と言いだしたのです。

 なんと、これまでの彼の謝罪は全てウソだったのです。彼はJR連合A氏(当時「ジェイアールグリーンユニオン」東京地本書記長)の指示でシナリオ通りの謝罪をし、職場の仲間達を裏切ったのです。
それでも裏切られた仲間はウソにウソを重ねるY君に反省を求めるために討論しました。
にもかかわらず、職場の仲間達を裏切り続けたY君は反省することもなく、これまで明言してきたとおり、2月28日にJR東労組を脱退し、7月31日には自らの意志で退職しました。
また、後から分かることですが、2月15日以降、Y君はICレコーダーを隠し持ち、職場内のあらゆる場面を録音し、権力側が活用できるように備えていたのでした。

3.「強要罪」を口実にした異常な捜査による「政治的弾圧」である。

 最後に後藤弁護士は「この事件は組合の脱退退職の強要を口実にしたもので、軽微な罪名であるにもかわらず、大規模な捜索、捜査がやられたのは明らかに政治弾圧である。その根拠は、憲法9条を守り反戦平和をたたかう数少ない労働組合を弾圧するための何ものでもない」と主張しました。
途中検事が「異議あり」と口をはさみましたが、後藤弁護士は「真実が語られるのが怖いのか」と応え、その迫力に押されてか、裁判長も検事の異議を却下する場面もありました。

 マスコミでも多く取り上げられているように、現在の日本に「えん罪」はたくさん存在し、市民の人権は蹂躙されています。このような「えん罪」を許していけば日本は恐ろしい社会になってしまいます。
私たちは「支援する会」のご協力、賛同する方達からの支援を得て、7名の被告の完全無罪、「えん罪」を許さないためにがんばります。
今後とも、ご支援ご協力をよろしくお願いいたします。

今後の公判日程のお知らせ

第16回公判  2004年3月 2日(火)
第17回公判  2004年3月30日(火)
第18回公判  2004年4月23日(金)
第19回公判  2004年5月19日(水)
第20回公判  2004年6月 7日(月)
第21回公判  2004年6月30日(水)
各々10:00~17:00 於:東京地方裁判所

みなさんありがとう
これからもがんばります!!
・・7名より・・・

 こんにちは。一昨年の逮捕以降、物・心両面に渡る沢山の激励、大変ありがとうございました。みなさんのおかげで、今年の正月は、家族水入らずゆっくりと、そして楽しく過ごすことが出来ました。
公判は、15回まで進み、14回公判をもって、検察側の立証が終わりました。そこで明らかになったのは、この浦和電車区事件は、不当であり、東労組を潰すために仕組まれたことです。被害届けは、公安の刑事が書き、その2ヶ月前から捜査が始まっていました。また、グリーンユニオンと検察が一体となってウソとデマで事件を作ろうとしていました。ウソにウソを重ねた証言だから、反対尋問で答えられない、誤魔化してしまうことが起こるのだと思います。先日の1月29日の第15回公判から私たちの反撃の闘いが始まりました。証言台に立つことはとても大変ですが、私たちには仲間がいます。傍聴席だけでなく、日本全国、世界に仲間がいます。沢山の仲間の想いを胸に、しっかり真実を述べ、無罪を訴えていきます。
不当性が明らかになっても、保釈が認められなかった、裁判所の現実があります。真実をただ述べただけでは、無罪は勝ち取れない現状だと思います。この不当性を多くの人に訴え、賛同して下さるみなさんと共にスクラムを組んで、完全無罪を勝ち取っていきます。みなさんには、これからもお世話になりますが、今後とも、よろしくお願いいたします。

このページの先頭へ [↑]