反弾圧のたたかい

公判報告
第1回~第14回公判の特徴点

第1回公判(2003.2.25)

検察側からの起訴状の冒頭陳述が行われました。
これに対して、後藤弁護士から次のような主張がされました。
起訴状を一見してわかるように、冒頭陳述の表現上で「Y君が虚偽の弁明を行った。そのことなどに因縁をつけ・・」とあるが、「虚偽の弁明」をなぜY君がするのか、それなりの不信行為を働いたからであって、これに重い意味があるのです。また「因縁をつけ・・」などという、敢えて被告や東労組を悪質な集団のように印象づける、公益機関の品位が問われるような表現はいかがなものか。
裁判所にとって大事なのは真実、道理、品位です。それがあってはじめて公正な裁判が成り立つと考えます。本件は一地方の一分会の中の出来事であり、この作り上げられた小さな事件を口実にJR東労組全体を捜索しています。JR東労組破壊を狙ったものであることは起訴状自体が物語っていると言えます。
裁判長が被告に告げた黙秘権は権利です。警察や検察で「黙秘すると出られない」とか「控訴事実を認めないと保釈しない」とやられています。このやり方は正しくない。裁判長に心から謝罪を求めたい、平常化している異常なやり方、「人質司法」から正常な裁判、刑法と刑訴法に則った公正な判決をしていただきたい。

第2回(2003.4.7)

原告であるY君が隠し撮りしたテープとそれを起こした文書の証拠能力を問うもので、公安2課の4人を証人尋問しました。
その結果、テープの雑音処理はNTTに委託、反訳は公安2課の3名があらかじめ起こしてあった文書に書き写したものであること、名前の特定は事前にY君から聞いた名前と似たような声に名前を付けたものであることなどが明らかになりました。
またY君が被害届を出したのは平成14年2月11日ですが、捜査は被害届とは関係なくその前から行われていたこともわかりました。
弁護人「反訳前(Y君が隠れてとっていたテープを起こした)から捜査に加わっていたのですか」
公安警部「平成13年12月21日からです」

第3回(2003.5.2)

 Y君の検察側主尋問が行われました。Y君からは「強要罪」を仕立てるための検察側のシナリオに沿った証言がなされました。弁護士から「2年以上も前のことなのによく覚えていて、相当に打ち合わせを重ねたに違いない」という感想がでるほどでした。
職場集会の場面の証言では、Y君は「脅迫」「つるしあげ」を受け「怖い思いをした」と「強要罪」を演出しました。
また、集会参加者を特定する場面で、Y君が被告である7名の名前を一人でも言い忘れると、すかさず検察側が「○○もいませんでしたか」と何回も助け船をだし、弁護士から何回も「異議あり」の声があがりました。
そして集会に地本役員が参加していたというだけで、Y君は「分会レベルのことではなくなった、地本にまで話がいき、もしかしたら本部にまで言っているのではと思った」と答え、「上部の指示で」という筋書きをつくりたい、そんな意図がみえる検察側とのやりとりでした。

第4回(2003.5.20)

 第3回と同様、Y君の検察側主尋問が行われ、Y君はシナリオどおりの証言を繰り返し「強要罪」を演出しました。
同じ職場であれば、職場の仲間とロッカールームや事務所で顔を合わせることはよくあることですが、その場面をY君は「待ち伏せしていると思った」と証言しました。
それに対して検事からは「それは個人でやっていると思ったか、組合の方針か」と聞かれ「組合の方針でやっていると思った」と証言するというものでした。
そして最後にY君は「7名を裁判所で厳罰を、会社は懲戒解雇にしてほしい」と主張し、傍聴者の怒りをかいました。

第5回(2003.6.24)

 Y君に対する弁護側の反対尋問が行われました。Y君は検察側の尋問と一転。「記憶にない」「覚えていない」を連発し、最後には沈黙してしまいました。

弁護士「あなたが『この間いろいろと話してきて、グリーンユニオンとキャンプに行ったのはいけないと思った』と12月30日に言った記憶はありますか」

Y君「覚えていない」

弁護士「『こんなに大きな事とは思わなかった、大変なことをした』と発言した記憶はありますか」

Y君「何とも言えない」

弁護士「『今考えると東車は冷たかった。団結署名の時こんな場面はなかった。浦電はあたたかい』という発言をした記憶はありますか」

Y君「あるような、ないような」

第6回(2003.7.7)

 Y君に対する弁護側の2回目の反対尋問が行われました。都合が悪くなると「記憶にない」と言っていたY君から、以下のような驚くべき事実が明らかになりました。

  1. 弁護士「あなたのほうから警察に話をもっていったことはないということですね」
    Y君「はい(略)私の父親が浦和警察署に行ったことはあります」
    弁護士「あなた自身は行ったんですか」
    Y君「いいえ。(略)父の話だと警察は真剣に考えてくれないような感じだったので、ああそうなのかと思った」
  2. 弁護士「あなたが最初に警察に行ったのはいつですか」
    Y君「警察の人が今回のことを詳しく聞きたいと言って家に来たんです」
    弁護士「警視庁公安部ですか」
    Y君「そうです」
  3. 弁護士「被害届の書き方は誰に教わったんですか」
    Y君「自分が状況を話して自分の話したことを警察の人が書いてくれた」
  4. 弁護士「被害届は脅迫、強要で出したのですか」
    Y君「えー」
    弁護士「罪名を覚えていないということですか」
    Y君「えー、罪名として、えー、今思い出せませんが」

第7回(2003.7.29)

 Y君に対する反対尋問の中で、上原さんが直接Y君に質問しました。

上原さん「甲54号証(Y君の謝罪の手紙)は脅しを押さえるために書いたと聞きましたが(第3回公判)、そういう目的だったのですか」

Y君「つるし上げを避けるためで、謝罪することは考えていません」

上原さん「第3回公判まで謝罪の手紙を信じていましたが、あれも虚偽だったのですか」

Y君「はい、そうです」

上原さん「逮捕される前に、警察との捜査段階において証人が私のことを最後までかばったと、警察から聞きましたが本当ですか」

Y君「結局は分会長という立場で、組織的に私のことを糾弾し、脅迫し、結局退職まで追い込んだ、私はそういう認識しかありません」

上原さん「人間が意志疎通をはかるためには、ものに書いたり、言葉に出してしか伝わらない。それを書かされたとか、ついカッとなってとか言われると、当時の証人の心境を探るために私たちは何が出来たと思いますか。本心を探るために・・・。」

Y君「考えたことはありません」

第8回公判(2003.9.19)
第9回公判(2003.10.7)

 浦和電車区の前区長と前副区長の主尋問と反対尋問が行われました。
前区長は、Y君が1月(Y君自身のウソに次ぐウソが発覚)以降、「組合からの組織的いやがらせを受けていた」という被害内容について「個人的なこと」と証言しました。これは組織的、組合ぐるみを否定したものです。
従って、区長として特に対策も講じていないことが明らかになりました。また、東労組の取り組みの一環であったハガキ行動をY君が拒否したことについても、「正式な機関で決まったことを組合員が守らないのは問題」と証言、Y君自身が組合員として問題のある行動をとったことを示唆しました。
また、前副区長は、Y君自身がウソをついていたことを法廷で堂々と証言していることを弁護士から聞かされ、驚く場面さえありました。 Y君のいう「言葉の暴力」についても、特に調査するつもりもなく弁護士から「たいした出来事ではない、という考えですか」という質問に「はい」と証言、あらためて些細なやりとりであることを証言しまし、Y君自身が公安警察の思うままに「事件」に仕立て上げたことが明らかになりました。

第10回公判(2003.10.20)

 JR東日本労組東京地本副委員長・A氏(当時「ジェイアールグリーンユニオン」東京地本書記長)が検察側証人として検事より主尋問を受けました。
そして「Y君はつるし上げられた」「みせしめになった」など、検察側のシナリオにそって証言しました。
その後、Y君がいつも持ち歩いていたICレコーダーを法廷で聞きました。もちろん初めて聞いた人ばかりでしたが、全く「脅し」とは無縁なやりとりに、「なんでこれが事件になるの」という声がしきりでした。

第11回公判(2003.11.4)

 JR東労組の組合員であるO氏が検察側証人として検事による主尋問を受けました。前回のA氏と同様、検察のシナリオ通りの証言が続きましたが、彼の検察調書にほとんど使われていない「つるし上げ」という言葉があまりにも意図的に繰り返されたため、弁護団から「異議あり」の厳しい発言がありました。
また、同様に「組織的に行われた」と強調、「組織的」を印象づけるための証言をしていました。そして時折涙まで見せ、傷ついた自分を演出していました。

第12回公判(2003.11.18)

 JR東日本労組東京地本副委員長・A氏(当時「ジェイアールグリーンユニオン」東京地本書記長)に対する弁護側の反対尋問が行われました。A氏は弁護団からの質問に対して論点をずらした証言をしたり「先生の考えをまず聞かせてくださいよ」と開き直る場面もありました。
しかし、Y君にウソの言い訳を強要したのもA証人であったことが明らかになりま
した。

弁護士「丹沢キャンプのことでYさんにウソをつくように指示したのか」

証人「あくまでも東労組からのつるしあげを考え、回避するために言った。そのことで東労組には何の害も与えていない。むしろ私的なことで問題にする方がおかしい」

弁護士「Yさんは(ウソをつくことを)嫌がったが、証人が(虚偽の報告をするよう)勧めたんですね」

証人「はい」

弁護士「丹沢キャンプの目的は自然を愛する仲間の集まりだったと言っていましたが」

証人「そうです」

弁護士「だったらそのとおりに言えばよかったのではないですか」

・・・(略)・・・

弁護士「あなたが作り話をつくり、Yさんにウソをアドバイスしなければ、今回のことは起きていなかったとは思いませんか。あなたが助言したことがウソだという認識はあるんですか」

証人「(ウソだという)認識はあるが、つるし上げ回避のため仕方なくついた」

弁護士「あなたに良心の呵責はないのですか」

証人「致し方ないことです」

弁護士「さきほどあなたたちは人格の陶冶に努めていると言ったが、あなたを見ていると、とてもそうは思えない」

 そしてさらに、A氏は「4月10日にY君と会った時に、Y君が(被告から)『俺は革マルだ』と言われたと聞き、非常に驚いて印象に強く残った」と証言しました。
しかし、この証言は検察庁で事情聴取を受けた時には一言も触れていなかったことであり、弁護士に理由を問われた証人は「忘れていた」と証言しました。 ある日、急に思い出したこの突然の証言は、やはり検察の意に沿ったシナリオを演じたものかと思えるものでした。

第13回公判(2003.12.18)
第14回公判(2004.1.9)

 JR東労組組合員であるO氏が検察側証人として証言台にたち、主尋問と反対尋問が行われました。
A氏と同様に検察側のシナリオどおりに「密室での厳しい、逆らうことの出来ないつるしあげ」が行われたことを必死に描き出そうとしていました。
しかし、O氏は自己保身のためには平気でウソをつく人であることが逆に明らかになりました。
弁護士がO氏に対して、当初カバーストーリー(A氏がつくった丹沢キャンプのウソの事実関係)を分会の仲間たちに話すことを嫌がったY君に対して「勝手な行動は許さないぞ、家まで殴りに行くぞ、自分だけいい子になるなよ、許さないからな」と脅した事実について質問すると、「記憶にありません」を連発しました。
また、飲酒運転をしたことも「Iさんがウソを言ったから自分も言っただけ」と証言し、全て人のせいにする始末だったのです。

 今回までの公判でわかったことは、A氏やO氏が嫌がるY君にカバーストーリーを強引に語らせたのは、当時の「ジェイアールグリーンユニオン」の組織戦略に基づくものだったということです。
JR東労組から分裂していった「ジェイアールグリーンユニオン」(当時)は、1997年に出した「グリーンカラーってどんな色?」というパンフレットで次のように書いています。「たとえ腐敗した敵(東労組のこと)といえども5万の大群も顕在である、5年を目処に敵は必ず滅びるであろう」と。そしてこの組織戦略に則って、Y君を今はなんとしても東労組組合員として残さなければならず、そのためにカバーストーリーをY君に語らせたということです。

<参 考>
「グリーンカラーってどんな色?」(1997年)一部抜粋

 大事をはかるには2つの方法がある。ひとつは兵をおこして直ちに敵を倒す方法、いまひとつは時がくるのを待ち、隠忍自重して徳を積んでいく方法。2番目の道をとりたい。その理由は今すぐ兵を起こしては完全な成功は難しいこと、大義名分が立たず民心を収拾するのが難しいこと、たとえ腐敗した敵といえども5万の大群も顕在であることなどである。
・・・いまだ機は熟していない・・・隠忍自重して計画を綿密に練らなければならない。・・・敵は5年を目処に必ず滅びるだろう。そのときまで我々はひたすら徳を積もう。

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