社会貢献

中国小学校建設運動
秋田地方本部

交流のあゆみ

1999.9 小学校訪問。竣工式。
2000.9 小学校訪問。
2001.9 小学校訪問。
2002.8 発展基金会、県教育委員会、小学校の先生などを日本に招待。秋田の小学校・職場見学、組合員との交流会。
2004~2009 毎年、小学校訪問

第5回訪問 2005年9月3日~8日

  現地の小学生14人と校長先生、貴南県教育委員会局長の合計16名を「西寧市(青海省の省都)」に招待して見物や買い物で交流をした。また、小学校へのプレゼントとして、布団等を購入した。翌日、「貴南県(小学校のある町)」の小学校を訪問し、学校の先生、教育委員会との意見交換を行った。

第6回訪問 2006年9月3日~8日

 前年に小学生を西寧市に招待したが、バスで片道6時間乗車しなければならず、体調を崩す子供が出てきたため、この年は途中の「貴徳県(バスで片道3時間)」に小学生10人、先生、教育委員会職員の計12人を招待した。この町には温泉があり、ホテルにはプールもあった。しかし、西寧市から貴徳県に通じる道路の土砂崩れから私たちの到着が遅れ、貴徳県の名所・旧跡を観光し他だけで、プールでの交流が出来なかった。翌日小学校を訪問し、校長先生や教育委員会と交流し、意見交換を行った。

第7回訪問 2007年9月2日~7日

 前年に引き続き貴徳県に小学生10人と先生の11人を招待した。観光、買い物等を済ませて、昨年出来なかったホテルのプールでの交流を行った。女の子は入らなかったが、男の子達は元気に泳ぎ回っていた。(浮き輪を使って)翌日小学校を訪問した。小学校の周辺には放牧民が定住できるように集合住宅が出来、まもなく電気も使えるようになるとのことでした。昼食交流後、先生や教育委員会との意見交換を行ったが、今回は、「海南チベット自治州」の役人も参加し、住宅が出来ると生徒も増えることから、施設の改善のための支援を要請された(後日手紙で断った)。

第8回訪問 2008年9月10日~15日

 北京オリンピックの影響を避けるため、例年より1週間ほど訪問の期日を遅らせた。また、昨年までの貴徳県への招待から「青海湖(世界的に有名な渡り鳥の飛来地であり、中国有数の観光地)」に変更した。これは貴徳県から貴南県への道路工事の影響によるものである。小学生10人、先生と教育委員会職員の12人を招待した。青海湖はチベット人には神の住む湖であり、憧れの地と言うことで、子供たちも喜んでいた。青海湖での交流の後、「共和県(州政府のある町、州の中で最も大きい町)」のホテルで夕食交流をした。翌日、共和県から貴南県への山道が雨の影響による土砂崩れで通行止めが危惧されたが、1時間半ほど遅れて小学校へ到着。昼食交流後に先生や教育委員会との意見交換を行った。この際、中国政府の学校改革の話があり、小学校の統廃合について説明があった。来年9月(新学期)から統合の予定であることが話された。現校舎は、幼児や1年生の教育のために使用する計画とのことであった。

元気いっぱいの子どもたちと記念撮影
元気いっぱいの子どもたちと記念撮影

第9回訪問 2009年6月1日~5日

 秋田地本は、6月1日~5日の日程で、第9回希望小学校交流団を派遣しました。 過去8回の交流団は、小学校の竣工記念日に合わせて9月に派遣していました。しかし、昨年の交流で「9月には統合される予定である」とのことから、今回は6月に派遣することとしました。
交流団は、有谷委員長を団長に、99年の竣工式典に参加した高杉さん(弘前)、06年に参加した阿部さん(弘前)、4回目となる田中顧問、はじめて組織外からの参加をいただいた全労済秋田県本部筒井専務理事、各支部から金釜さん(横手)、船木さん(秋田)、三國谷さん(支社)、船橋さん(センター)、藤嶋さん(能代)の総勢10名が参加しました。
また、平和の架け橋運動は、当初から10年間の交流を計画しており、今回で交流団の派遣を終了して今後の交流のあり方を検討するための交流団でもありました。
◆小学校での交流
出発直前に現地旅行社から小学校の状況に関する情報があり、すでに4月から統合されて先生2名、1年生12名、就学前児童11名しかいないとの事でしたが、当日は子どもたちの外に教育委員会や地域の父兄などが大勢で歓迎してくれました。
交流団はバスの中でチベット語を勉強し、出迎えてくれた子どもたちにチベット語で「チョデモ(こんにちは)」というと、「こんにちは」と日本語であいさつを返してくれました。
歓迎セレモニーでは、有谷団長からこれまでの交流に感謝し、竣工10周年記念の横断幕を贈呈しました。また、小学校へ行く途中の市場で購入した桃やバナナなどの果物をプレゼントしました。 教育委員会との意見交換で、地本は今後の小学校の存続が未確定のため、「今回の訪問で10年間の交流を終了する」旨を伝えました。
教育委員会からは、政府の定住化政策や教育方針に従わざるを得ない現状、10年間の交流支援に対して感謝の言葉がありました。それを、横断幕にチベット語で記入して貰い地本に持ち帰りました。
昼食は、チベット料理と現地の飲み物(アルコール度数47度)や果物で歓待されました。団員は、チベット語で「チンボレー(おいしい)」「ガチンチェ(ありがとう)」を繰り返し、料理や果物をいただきました。
昼食後、小学校内を案内してもらいました。小学校は、教室が2部屋使用されており、使用されていない教室2部屋と寄宿室2部屋が施錠された状態でした。在校生は、寄宿ではなく家から通学しているとのことでした。また、倉庫には地本から贈呈した布団、ピアニカやバドミントンなどが保管されていました。
ポラロイドカメラによる写真撮影には、子どもたちとともに親も1列に並び、何枚も写真を撮っていました。カメラマンは、今回も人気者でした。
朝7時30分に小学校へ向けて出発しましたが、道路工事の関係で小学校に行くルートが遠回りとなり7時間を要したので、学校での滞在時間が約1時間程度しかなく、子どもたちや父兄との交流も物足りなさを感じました。
◆今後の交流について
今後の交流について、参加者から2~3年後に交流団を派遣するなどして、交流を継続していくべきだとの意見もありました。
今後は小学校の存続状況を確認しながら、「平和の架け橋運動」としてどのような取り組みを展開していくか本部の今後の計画を踏まえ議論していきます。
◆エピソード
その1:成田から北京空港に到着した際、マスクをした防疫班が数名乗り込み、乗客全員の検温を行いました。チェッカーが点滅し、団員1名の体温が規定値を超えているということで、乗客全員が機内待機となり一時騒然となりましたが、冷たい水を飲んだりして規定値をクリアし、全員機外に出ることができてホッとました。
その2:共和県のホテルでは、地域全体が断水だったこともあり、シャワーやトイレに苦労した団員もいました。また、夕食中には一時停電になり、キャンドルディナーとなりました。停電した際、すぐにキャンドルが運ばれ、しかも何回か使っている状況をみると、停電もよくあることだなと思いました。
その3:6月4日北京に滞在しましたが、天安門事件20周年記念日と重なり、天安門広場は厳重警備で近づくことができませんでした。ホテルのテレビ放送は、天安門事件に関する報道は一切なく、BS放送なども天安門事件に関する映像だけが中断される状態でした。放送が検閲されている実態が明らかになりました。

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